丹道夫(名代・富士そば)の壮絶生い立ちや現在とユニークメニュー理由は?息子や家族情報と演歌との関係!

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立ち食い蕎麦チェーン店の『富士そば』をご存じですか?

1966年の創業というので50数年の歴史があるのですが、現在までに
主に関東圏と海外に約13店舗を展開するという一大お蕎麦屋さんです。

今回坂上&指原のつぶれない店にピックアップされるのが、名代・富士そば
の創業者である丹道夫会長です。

丹会長の経営戦略は『ぶっ飛んでる』と評判の大胆で柔軟な方針をお持ち
で、かつ数字にはかなりシビアという方。

かけそばの現行価格は一杯300円ながら2017年の年商は100億円というので
素晴らしい経営をキープされているようです。

今回は富士そばの丹道夫会長について

成功までの生い立ち

現在までの成功の秘訣

息子の現在の仕事とは?

丹道夫氏と演歌の関係とは?

こうしたトピックについて調べてみたいと思います。

いっしょに見てゆきましょう!

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丹道夫会長の生い立ちと現在

名代・富士そばを運営するダイタングループの創業者として君臨する
丹道夫会長。

1935年生まれの現在は82歳、今年12月で83歳を迎える老練な実業家ですが、
とても経営者と思えない柔和な笑顔が魅了のある方です。

反面、自己管理に長けた一面もあるそうで、普段から粗食を心がけ、腹筋体操は毎日20回継続されているという日課も通しているそうです。

温和な性格と表情の裏には、自己管理の徹底さ、つまりは自分の事業への管理
方法にも通じることではないかと思います。

そんな丹道夫氏の壮絶な生い立ちなのですが、丹さんが出生直後の実の
お父さんが亡くなります。

原因はわかりませんが昭和初期の時代ですから、栄養状態とは現在では
治療法が確立されているような肺の病気とかだった可能性も考えられます。

ほどなく実母の故郷である愛媛県西条というところに転居しますが実母は
芸者をして家計をたてていたそうなので幼少の道夫氏も子供心に寂しい想い
が強かったと思います。

その後、実母は義理の父となる丹さんという方と再婚するのですが、その時
は比較的裕福な暮らしながらも、弟が生まれると事態は一転。

義理の父親に道夫さんの存在を疎がまれてつらく当たられるような日々を
余儀なくされたそうです。

この生い立ちは厳しいですね、本人にとっては思い出したくない過去歴で
しょうね。

その後、地元の西条南高校農業科を経て、東京栄養食料専門学校を卒業し
ます。

複数の職業につき、上京と帰郷を4回ほど繰り返したそうなのでこの辺の
苦難と心の底は本人でないと判らない苦しい生い立ちだと思います。

埼玉県川口市で工場向けの弁当屋さんを開業することで事業が軌道にのり
、その後は友人と不動産業も展開して成功したそうです。

さらに巨大なバーのチェーン展開に手掛けしたそうで、当時の1日の売り上げ
が1億円だったこともあるそうで地獄の生い立ちから、天を上り詰める勢いだったそうですよ。

実は倒産寸前も経験したこともあるそうで、そうした教訓からか丹道夫氏は
事業のひとつとして富士そばをスタートします。

蕎麦という食事は日本人の馴染みですからね、まあ外れる確率は少ないか
もしれません。いわゆる日銭商売なので、薄利ながらも堅実な経営スタイル
ということで蕎麦チェーンを立ち上げて現在までに大成功に至ります。

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名代・富士そばとは?

丹道夫氏が1966年に富士そばの原点となる日本初の立ち食い蕎麦を
オープンします。

1972年にダイタングループを設立して、それまでの共同経営者たちと
独立する形で『富士そば』を新たに始めました。

現在では、グループ事業は富士そばの展開に専念しているそうで、1日に
5万食の売り上げを誇る一大そばチェーンとして成長しています。

丹道夫の経営術・名言とは?

現在、一線で富士そばの経営をけん引する丹道夫氏ですが、人気そばチェーン
ランキングではトップを獲得、年商は100億円を突破しているそうです。

東北・関東・甲信越・北陸での人気はダントツのようです。
https://news.nifty.com/article/item/neta/12225-171017013255/

さてそんな丹道夫会長率いる富士蕎麦チェーンの経営術ですが、

人こそ財産

大胆な経営方針

ということに集約されると思います。

丹会長の名言とも考えられるのが、

精神的な圧迫が人間は一番悪い

企業は人なりで社員こそ内部留保(企業の財産)

細かいことはいいから、うまくやってくれ!

出来上がりさえ良ければ、自己流大歓迎!!

を地でいっているみたいです。

具体的には同社では40年ほど前からアルバイト待遇の者にも退職金や
ボーナスを支給しているそうです。

こうした外食チェーンで昨今聞こえてくるのは、いわゆるブラック職場の
現状ですよね。

富士そばさんは、創業間もない1970年代から、企業体質のホワイト戦略を
実行していたなんて丹道夫会長、すごい才覚の有る方です。

丹会長を調べていると、不思議と『蕎麦の味』というか商品へのこだわり
よりも、いかに社員が楽しんで働ける職場を実現するかに重点を置いている
ことに気が付きます。

もちろんバイトを含めた従業員に破格の待遇が可能なのは、当然売上も
伴っているわけで、経営者としての多角的な視点の素晴らしさは卓越した
ものであると感じます。


斬新メニューがヤバすぎる件!

さらに丹会長直伝の大胆経営術の直結するのが、店舗での斬新すぎる
メニューの存在です。

夏場にひんやり美味しいジャガイモの冷製スープをご存じですか?

ジャガイモをすりおろしたコンソメの味が、夏の暑さを吹き飛ばす格別の
のど越しメニューですが、富士そばの斬新メニューはこれを『蕎麦』とマッチングしています。

その名も、ヴィシそば!!

限定チャレンジメニューということで、北千住・八重洲口・新宿三光町の
店舗限定で発売された経緯があります。

とろろそばの冷やしに似た感じでしょうか?

かけつゆもかけられているそうなので、やはり和ベースだと思います。

あと今回の番組にも登場するらしいトーストそばも斬新すぎます。

蕎麦にトーストが入ってるって、ひょっとしてモーニングかわりなのかな?
とも思いましたね。

番組で実食したのは町田啓太さんですが、

意外なおいしさにビックリ、ですが人生で一杯でいいかも。

とコメントされていました。

店舗でアイデアを駆使した新作を次々に展開している富士そばの魅力は、
出来上がりさえ良ければ大歓迎!という丹道夫会長の考えをそのまま投影
した姿でしょうね。

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息子の仕事は?

丹道夫会長には息子さんがいらして、お名前は丹有樹さんとおっしゃる方です。

1974年に神奈川県に生まれ、慶応義塾大学経済学部を卒業します。

その後はテニスコーチとして各地をまわり29歳のときに父である道夫会長のいるダイタングループに正式に入社します。

はじめましてたんゆうき です。家族は妻&娘&息子。小学4年生からテニスを始め、いまでも続けています。大学時代からJOPツアーという、日本のオフィシャルな大会にに参加しはじめ、97年に初JOPを取得。大学卒業後はテニスコーチとして働きながらJOPツアーを転戦。現在では35歳以上というベテランの部に挑戦しています。...
息子であり現在、グループの取締役社長をお勤めの有樹氏の目指すリーダー像というのが、

自分の個性を十分に発揮して、

仲間の個性を活かす!

ということです。

テニスという世界を通じて、学んだことは一線のトッププレーヤーよりも
コーチングして物事が良い方向に変わってゆくダイナミズムだそうです。

大卒後はほどなくして、テニス関連のイベント会社を設立する機会に恵まれたそうで、この時の起業の経験が現在、富士そばという家業をつぐことになって
大きな経験値として持っていると語っています。

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丹道夫氏と演歌の関係が深い!

丹道夫氏と演歌についてですが、富士そばを語る上でも演歌とは
きれない関係性があるみたいです。

24時間営業の店舗内では常に演歌が流れているすですが、単に
丹会長の演歌好きをごり押ししているわけでもなさそうです。

実は丹道夫さん自身が演歌の作詞家『丹まさと』として活躍されて
いるそうです。

演歌の作詞家への道は事業が好転しだした30歳代で通信教育から始めた
そうです。さらに50代で作詞学校に通ったそうです。

丹道夫氏が演歌に魅せられて理由ですが、

やっぱり苦労があるから、花開く。

その苦労に耐えてる姿は歌になるし、演歌を聴けば

苦労して頑張っている人とかが判るようになる。

1997年、母子船(白鳥みずえ)で作詞家としてプロデビューします。

作詩家丹まさととして、五木ひろし・天童よしみ・水森かおりなど
の有名演歌歌手に30曲以上を上梓しているということなので、こちらも
立派な本業といっても過言ではありませんね。

丹道夫まとめ

ダイタングループ会長として83歳の現在でも経営に奔走する丹道夫氏は壮絶な生い立ちも負けず、若いころの紆余曲折の苦労にたえながら富士そばという
一大立ち食いそばチェーンを築きました。

その経営術は、ヒトを活かすことと、大胆戦略ともよばれる経営で従業員に
優しく楽しい店舗職場づくりを実現、その延長が店舗の展開する限定挑戦メニューではないでしょうか。

息子の丹有樹氏も現在では、グループ社長として父親の道夫会長と二人三脚で家業の今後の発展を見据えている。

丹道夫氏は実業家の顔の他にも、演歌の作詞家としての異色の経歴をもつが
演歌の世界=苦労を耐えるからこそ花開く!という自分の生い立ちや過去にも
通じるもので30代ころから傾倒して60歳代で作詞家として大成した。

これからもお元気で、富士そばグループを盛り上げていってほしいですね。

ここまでお読みいただきまして有難うございました。

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