三菱銀行人質事件の発生・犯人梅川の動機とは?被害者(人質)の現在について!【爆報】

三菱銀行人質事件は1979年1月26日に大阪の三菱銀行北畠支店に犯人・梅川昭美が猟銃を持って押し入り、行員らを盾に現金を要求した強盗事件です。

発生から既に40年ほど経過しており、犯人梅川も現場で亡くなっています。

爆報theフライデーでは、この事件の新たな『真相』について特集されます。

今回はこの悲惨な三菱銀行人質事件について、しらべてみました。

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三菱銀行人質事件の経緯について

この人質強盗事件は1979年1月26日の15時ころ発生します。

ゴルフバックにしのばせていた猟銃を犯人の梅川がいきなり店内で発砲して
現金五千万円を要求したそうです。

この事件の初頭段階で、①通報しようとした行員 ②駆け付けた警官 ③さらに第二部隊の警察官 の3名が犠牲となります。

立てこもり事件と長期化の様相の銀行内部の人質は39名。

さらに当時の支店長が4人目の犠牲者となってしまうのです。

事件二日目には犯人梅川の母親も現場に到着して投降の説得をします。

28日の早朝、事件の猟奇さを危惧した警察は居眠りしていた梅川の間隙をぬって内部に突入、警官隊により犯人梅川は射殺(享年30歳)されたそうです。

三菱銀行人質事件の犯人の動機とは?

被害死亡者が4名と犯人も現場で射殺という幕切れの三菱銀行人質事件ですが、さらに立てこもりの最中でも猟奇的とも狂気の沙汰とも呼ばれる梅川昭美の行動があるそうです。

その異常さは公開できないくらいでレベルだそうで、残虐極まりないものです。もちろん、犯人が猟銃を盾に人質たちに命じたものでした。

犯人の梅川は1976年に公開の『ソドムの市』という映画に強く感化されていたらしく、実際に犯行の最中に梅川はこの映画の事を口走っていたというエピソードもあるそうです。

梅川の犯行動機は、表向きは借金苦という部分もありますが、常軌を脱した犯行の一部始終に、特殊な性向性癖・耳を切るという『儀式』・カニバリズム(人肉食)を色濃くだしており、心の深層に『闇』を抱えていたといえると思います。

犯人梅川昭美の生い立ちとは?

犯人の梅川昭美は広島県大竹市に1948年3月に生をうけます。

8歳の時に父親が歩行困難となり退職、母親は梅川が10歳の時に離婚して家をでます。幼少時代は極貧の中で生きていたそうです。

その後は親戚筋にたらいまわしの状態だったみたいで、中学時代には外泊を重ねるようになったといわれています。

梅川の初犯は15歳、強盗を目的に家宅侵入で逮捕されるのですが、この時殺人の罪をも冒しています。

供述の時の梅川は自分の貧乏さ加減を憂え、他人の幸福を強く蔑んでいました。自己弁護防衛が殊の外、強い習性だったのでしょうが、それは生い立ちに深く起因しているのではないでしょうか。

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人質(被害者)たちの現在とは?

かなり残忍で事件の真実を口外するのもはばかれるほどの衝撃度のあった事件でした。

さらに事件発生から40年ほどの時間が経過していることもあり人質となった被害者の方々の現在はどうなのでしょうか。

かなりの心的ストレスを抱えられたのは間違いない事ですし、ストックホルム症候群を広く知らしめた実際におきた犯罪事件でもあります。

ストックホルム症候群とは、心理的身体的にも極限状態の中で、人質が犯人に『共感』を覚えてくるという心理状態だ。

度を越えた恐怖感を植え付ける→絶望感が沸き起こる→優しくされる

この巧みなループが「人質」の善悪基準(理性)を壊してしまうのだそうだ。

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長い年月は経過したが、人質(被害者)を経験された方々は心の健全さは推察することしか出来ません。

人間の心は柔軟さをもっていると思うのですが、その度の超越さがハンパないモノだったとしたら、それは決して年月や時間が解決できるものではないかもしれません。

上の建物は現在の『三菱UFJ銀行 北畠支店』です。

外観はほとんど変わらないようです。

北畠支店では、現在でも悲劇を繰り返さないために強盗事件や立てこもりのための訓練を継続しているそうです。

このような常軌の外れた凶悪犯罪事件の再発のない事を心から祈りたいですよね。

また同時に亡くなられた被害者の方々のご冥福をお祈りしたいと思います。

ここまでお読みいただき有難うございました。