ブサイナ王女(オマーン王女)の日本名は?現在が気になる!【ザ・ノンフィクション】

ザ・ノンフィクションでは、今から約70年
程前に起きたラブロマンスに端を発する一人
の日本人女性について放送されます。

題して、

【私の姪はアラブの王女】!

戦前のオマーン元国王と結婚したある日本人
女性とその娘についてピックアップされるも
のです。

その娘の名前は、ブサイナ王女!

いったい彼女はどのような歴史の波に翻弄
されたのでしょうか?

そして現在はどのように生活しているのか
とても気になりますね!

中東最大の親日国ともいわれる王国オマーン
の王女は日本人であるという事実について
調べてみたいと思います。

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戦前オマーン国王と結婚した日本人女性とは?

いまから約80年ほど前、日本に身分を隠して
来日していたオマーン国王・タイムール

世界旅行中に日本の神戸で日本人女性である
大山清子さんと運命の出会いをします。

出逢った場所はダンスホールだったといいま
すが、昔風な表現をすれば「ハイカラ」と
いうことでしょうか。

もっとも神戸と言えば昔から日本の玄関口
として外国人との交流が盛んでしたから、異国
の男女が出逢っても不思議ではなかった環境
だったかもしれません。

出逢った当時は昭和10年で、大山清子さんは
この時19歳。神戸税関に勤めていたみたい
ですね。

やがて大ロマンスの後、二人は結婚!

タイムール国王と大山清子はやがて惹かれあう
のですが、当時の社会事情からして国際結婚
という事については特にハードルが高かった
みたいですね。

清子の両親が結婚についてタイムールに突き付け
た条件、それは二人で日本で暮らす事!という
ものでした。

タイムールは当時オマーン国の国王でした。

世界に名だたる石油産出国の国王ですから、
その地位や財産は莫大であったことは想像
できますね。

ですが清子への愛を全うするために、日本
への永住と清子との生活を優先することを
決意、タイムールは周辺の反対を押し切り
日本に再度出国します。

タイムールと大山清子が結婚したのは
1936年5月5日。

実は清子は結婚に至るまで、タイムール
の身分を知らされてなかったようですね。

1937年に長女が生まれ、誕生のお祝いの
ためにオマーンからタイムールの弟が来日
するのですが、実はこの弟が当時の国王・
サイードで、タイムールから権威委譲を
うけ国王となった経緯があったのです。

サイードから初めてタイムールの身分や
、清子への愛情の一途さを初めて聞いて
衝撃だったと思いますね。

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清子の急死で事態は一転!

タイムールが王位を投げ捨て、異国日本
での清子と子供との生活っていったいど
のようなものだったのか計り知れません。

国王だった人間ですから、いったい仕事は
どうしていたのか?

もちろん相当の財産は日本に移していた事
は有るのかもしれませんが。

結婚からわずかに3年たって、妻の清子は
急性腎盂炎で他界してしまうのです。

昔は結核やら腎盂炎やらとても重篤で
怖い病気だったのでしょうね。

タイムールの異国での幸せな時間はひと時
で吹き飛んだ形となったしまったのです。

オマーンのブサイナ王女とは?日本名は?

今回、ザ・ノンフィクションでのテーマ
はオマーンの王女は日本人という事。

このブサイナ王女こそが日本人女性であり
、約80年まえに神戸の地でタイムール元
国王と大山清子の子として生まれた女性で
す。

ブサイナ王女は、オマーン国の王族の一員
であり、本名が

ブサイナ・ビント・タイムール・アル・サイード

1937年10月10日に生まれて現在も御年
80歳いしてなお健在という事です。

そして

現オマーン国王のカーブス・ビン・サイー
ドの叔母にあたる人物でもある。

ブサイナの母・大山清子が亡くなったのが
1939年で、翌年にはタイムールは娘に王族
としての遺産を相続する手続きの為にオマーン
に一時帰国します。

ブサイナの意味はアラビア語で【美しい】と
いう意味だそうで、オマーンに帰国して王女
としての手続きの為にこの名をつけたのかは
判りません。

そして気になるのは日本人でもあるブサイナ
王女の日本名があるのかを調べてみました。

ブサイナの日本名は、『節子』という日本名
があるそうで、母・清子の墓誌名から

【節子・アール・サイード】

の日本名だと考えられているそうですね。

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ブサイナ王女の現在とは?

母・清子の死後、父タイムールの考えにより
ブサイナはオマーン人として教育されたと
言われています。

時代背景もあってか、日本の縁故とは
完全に断ち切れていたそうなので、ブサイナ
が物心ついたときには自分のルーツについて
かなり思いめぐらしたのではないかと推察
されますね。

実はオマーン国民の多くはこのブサイナ王女
の存在を知らないんだそうです。

現国王の叔母という存在を。

といいうことは王女のルーツが日本人で
あることもほとんど知られていないという
事にもなりますね。

こうしたことからも現在80歳を迎えている
というブサイナ王女の現在が推し量られると
言うものではないだろうか。

何でもオマーンに行ってから後も王宮に
軟禁状態の生活だったことからその存在が
王族周囲から疎んぜられたことは想像できる
のではないだろうか。

事実、1978年に天皇陛下がオマーンの国賓
として立ち寄った際にもブサイナ王女が
応対することはなかったという。

今回のノンフィクションでは、そんなブサイナ
王女の現在を切に心配する日本人女性が紹介
されるようです。

ブサイナ王女【日本名・節子】の叔母にあたる
大山昌子さんである。

番組では大山さんの切なる再会の願いを叶える
べくオマーン政府と交渉するものという。

ブサイナ王女の現在の素顔や沈黙する理由が
明らかになるのかとても興味深い内容ですね。

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まとめ

以上、今回はザ・ノンフィクションから、中東
オマーンの地で生活するブサイナ王女について
ピックアップしました。

ブサイナ王女が現在がもっとも気になるところ
ではないでしょうか?

タイムール元国王のオマーンは一夫多妻制
のお国柄であり、日本で出逢ったずっと年の
離れた清子と結婚したばかりにブサイナ【節子】
の人生は大きく狂ったともいえるのではないでしょ
うか。

もちろん第二次大戦下という時代背景などさま
ざまな要因が絡んでいたことも否めません。

ブサイナ王女や叔母の大山昌子さんがお元気な
内に再開できる機会が巡っていることを期待し
たいと思います。

ここまでお読みいただき有難うございました。

追記
ここからは番組放送後、ブサイナ王女の現在に
ついて追記したいと思います。

叔母の大山昌子さん(88歳、神戸市在住)の
ブサイナとの再会は長年の夢だったのは間違い
ありません。

引用:http://www.fujitv.co.jp/

この画像は、手前にブサイナ王女と後列に昌子さん
が写っていますが、約40年前に亡き母の墓参りに
ためにブサイナが再度の来日した時のものだそう。

身分のためか滞在時間はわずか2時間程度だった、と
いう内容がさらに涙をさそうものでしたね。

この時、ブサイナは大きな体躯で昌子さんに駆け寄り
ハグしたそうです。

その後、遠く中東の地で暮らす『家族』に昌子さんは
何度か自筆の手紙を送りました。

が結果は、何の返答も応答もなかったという事。

現在のブサイナ王女の様子が気にかかるところで
すね。

番組では、在オマーン大使館や番組スタッフの尽力
で、大山昌子さんのビデオレターを現地で、ブサイナ
王女の親族の王子(甥にあたる男性)に手渡す事に
成功します。

そして必ず叔母・ブサイナに手渡すことを約束して
くれたのでした。

親族の王子は来日の経験もあり、親日派であった
ようで来日時にも、叔母ブサイナの日本での滞在
の様子を事前にきかされていた事をインタビュー
で話していました。

ビデオレターの昌子さんの様子に、心うごかされた
のかも知れませんね。

その後、今年2月にオマーンより番組あて(昌子さん)
宛てに、ブサイナ王女より自筆の手紙が届いたこと
は正に特筆ものですね。

当然、全文アラビア文字だったのですが、その内容
は、叔母・昌子さんの様子を気遣うものであり、
自分も元気に過ごしているものの年波で背中や脚が
痛い!といった人間臭さを感じさせたものでした。

簡素といえば、非常に簡略な内容だったように感じ
ましたが、それが日本と中東、そして身分という要
素が複雑に絡み合う事情というものかも知れません。

ここまでお読みいただき有難うございました。